月別アーカイブ: 2011年8月

土地家屋地籍調査に不可欠な第14条地図を皆さんは知っていますか?

JUGEMテーマ:日記・一般

29日~9月1日まで、区内にある各団体との予算要望などの懇談会をやっています。
本日は、「土地家屋調査協会」さんの懇談会でした。
以前より、土地の調査をしておくことにとって、災害などが起きたときに大きな力を発揮し、復興に大変役立ち、区民の財産が守れるとのことと伺っておりましたが、区は氷川台などをモデル的に取り組んだことはあったようです。でも、その後は重視をしていない姿勢でした。
本日もお話しを伺い、安易になっていた私を反省しました。
というのは、災害で何もかも亡くなった場合(今回の東北のような災害のような)、この調査が出来ていると私財産を守りあえるというのです。
つまり、登記簿だけではどこの土地から土地なのかがわからないのを一目瞭然に出来るというものだそうです。
こんなに必要性の高さがあるのに、なぜ、練馬区は取り掛からないのか。
阪神淡路大震災の際にも、この地籍地図がなかったため、復興に10年を要してしまったとのこと。
この調査だけで7年かかってしまうので、最初からあると、ないとでは復興のかかり方に差が出るとのことです。
実際、仙台市がすでにこの地図を作っていたので、今はどんどん土地の整理と防潮堤など、復興の動きが始まりつつあるとのこと。
こんな大事なことに、私は、今まで気に留めながらもスルーしてきたのだろ、真剣みがなかった自分に反省しています。
これからは、ぜったい、この問題提起をしていきたいと思います。なぜなら、区長は、「災害につよい街ねりま」区民の財産を守ると言っているのですから……。

では、この不動産登記法第14条地図とはどのようなものでしょうか。
答え)  
登記所に備え付けられている地図のうち、国家基準点等(一等三角点から三等三角点等)を基礎として測量され、
しかもそれが地図上明確に表示されているなど、現地復元性のある正確で信頼度の高いものが、不動産登記法
第14条地図として扱われています。

このテーマは、測量協会も喫緊の課題だと言っています。
区民の皆さんも、真剣に考えてみませんか。そして、声を出していきましょう。

日大光が丘病院はどうなるのか?

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すでにご存知の方も多い「日本大学医学部付属光が丘病院の撤退問題」ですが、「何故?」「急なんておかしい、区議は知っていたのではないか?」等の声や疑問を区民の方々からいただいています。
産経新聞では、『日本大学(東京都千代田区)は15日、練馬区の日大医学部付属練馬光が丘病院を平成24年3月で閉鎖すると発表した。練馬区も同日、日大への運営依頼を断念し、同年4月から病院を引き継ぐ新たな医療機関を公募する方針を明らかにした。
 同病院は3年4月に診察を開始。内科や少児総合診療科、産婦人科など18診療科があり、ベッド数約340床。練馬区の急性期医療の中核を担ってきた。
 開設に際し、区が日大に運営を依頼。33年3月31日までの30年間、区から土地と建物を借りて病院を運営する協定を結んだ。
 しかし日大によると、病院は当初から赤字で、22年度までの累積赤字額は約90億円。「このままの状態が続くと、光が丘病院だけでなく法人そのものが経営破綻しかねない」と撤退理由を説明した。
 日大は21年9月、区に運営支援を要請。区は21、22年度の建物賃借料を免除した。
 しかし、2カ月後の21年11月、日大の理事会が23年3月末での撤退を決定。その後、撤退を1年延期しながら、区と話し合ってきたという。
 区によると、日大とは30年間は運営する予定で協定を結んでおり、日大から預かった保証金50億円については今後、大学側と協議していきたいとしている。 区は同病院の救急、小児、周産期、災害時の4医療機能を持つ運営主体について8月中に公募、9月中には決定する予定だ。区民に限らず、行政・議会もこの『根に耳に水』事態に早急に対処していかなくてはならないだろう。』
私も地域医療課長より情報収集をしました。
これまでの経緯や経営状況は、区側は、継続できるよう努力してきたというのだが、その間は、税金の投入をしてきたわけであり、日大の撤退姿勢を変えてこないことは、何か納得できない気持ちです。
ある区民の方から、「私は、眼科に世話になり、二回ほど手術をして、現在通院しているが、この問題が起きてから、担当医より「来年は、私はここにいないのでよろしく。」と言われた。「では、私はどうすればいいんですか?」と訊くと、「そんなの知るところではない。」と言われたとのこと……。
存続の会も発足されましたが、一方で、公募への説明会に15団体が参加したとも聞きました。
どちらにせよ、まず、利用し受診されている市民を不安にさせていくことだけは避けたいものです。

被災地の視察を終えて-災害対策等特別委員会で宮城県に行くー

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8~9日 練馬区被災地支援先の宮城県亘理町にいってきました。
テレビからだけでは伝わらない、現地の状況や説明をうかがうことから、学ぶべきこと、ひとごとではない現実を感じ、学ぶべきことがあった視察となりました。
仙台市→亘理町役場→FMあおぞら→仮設住宅→わたり温泉・鳥の海→支援物資配給体育館etc
私は、心中をお察しながらも、発災当時の状況を中心に質問させていただきました。
「行政と議会本部の機能を速やかに機能させるために、どのような手段、方法をとられたのか?」
「避難拠点の小中学校に来ない方々もいるはずだが、どのような支援物資の提供状況だったのか?」
「死亡者数の中には、二次災害でお亡くなりになった方もおられるのか?」
「個人情報保護法があり、甚大な被害のなかから安否確認をどのようにされたか?」
「住民への情報は重要ですが、機関紙や情報ツールはどのようにされたのか?」etc
2日目は、石巻市の10mの津波が襲った沿岸部を高台から視察。
その時に、現地の初老の女性が、「遠いところから、ありがとうございます。私は今、当時の様子などを説明するボランティアガイドをしています。今の私に何が出来るだろうか。と考えできることをしています。」とのことです。
当時の話しを少ししてくださった「当時はとても寒く、避難所でも低体温で亡くなられた方もいました」との言葉に、助かった命を決して二次災害で落としてはならないと痛感させられました。
次に、海岸部におり、同じ目の高さになった時、匂いと何もなくなっている光景に唖然とするばかりでした。
私は、5月にいわき市久ノ浜海岸に視察にいき同じような光景を見てきましたが、やはり、何回見ても胸の詰まる思いです。写真は、沿岸から1キロ奥の小学校ですが、津波が襲った後の校舎の様子です。

この視察からの教訓を、しっかりと練馬区に活かさなくてはならないことは、どの議員も感じたのではないでしょうか。