4月の統一地方選挙よりこのブログへの掲載が滞ったままで申し訳ありませんでした。
フェイスブックは、身近なことを含め、アップしているのですが……。
さて、8月2日号の日本再生「がんばろう、日本」の機関紙に「統一地方選挙を終えて」の総括として
これまでの経緯と、これからの思いを掲載させていただきました。ぜひ、お読みいただきご意見をいただければ幸いです。
また、現在、第三回定例会の会期中です。この度、平成26年度の決算委員会の副委員長を務めさせていただきます。
定例会終了後、地域の皆様に議会報告をして参りますので、どうぞよろしくお願いします。
統一地方選挙を振り返って 練馬区議会議員 白石惠子
今4月の選挙にて、「区民に寄り添う区政」を求めて三期目を務めさせていただくことになりました。多くの方々の支援をいただき大変感謝しています。
議員初当選から今日までの経緯を振り返り、総括することで、地方議員としての役目・立場・責任を今回の寄稿により、自らを検めて見つめ直させていただけたことに感謝申し上げます。
◆初当選から今日まで
平成19年の統一地方選挙において、練馬区議会議員に初当選をし、二期7年間の議員生活の中で、2年間会派幹事長職を務め、丸8年のキャリアを持ち、今4月が三期目の選挙となる予定でした。
ところが、昨年、練馬区長の突然の逝去により首長選挙が行われることになり、幾筋かの経緯を経て区長選挙に立候補となったのです。議員辞職から選挙の準備、そして四万余票を頂きましたが次点。以後、一年間、外野席から「日本の政治、地域の政治」を見つめさせて頂きながら、福祉の現場で汗を流しておりました。
◆なぜ、首長選に出馬したのか? 結果は?
当時の流れですが、私は会派の幹事長として、自民・公明党会派の候補者に対立するべく候補者を一名に絞る調整役に徹し、一ヵ月を要して擁立に向かっていましたが、結果は不調に終わり、調整役も終了することとなりました。
その後、民主党の会派として、応援ができるような出馬候補者がいないことから、独自の候補者を出すべきでは? となり、派内のバランス等が熟慮された結果、私が推挙されることになったのです。もちろん、出るからにはお義理ではなく、自分自身の心も「地域のために、さらなる尽力をしたい」との決意を固めました。わずか3週間の立候補準備となったわけですが、日々充実しておりました。結果は、4名の出馬で、一週間の公式選挙活動期間中は、『女性区長の誕生か?』の大きな期待や盛り上がりを感じ、周囲はひょっとしたら……。との空気でしたが、投票率は31.68%と低く、次点に終わりました。重要な選挙にも関わらず、有権者の関心の低さと政治への乖離の現実に痛感をしました。
勿論、首長選に出ることは簡単ではないことも承知していましたし、当然「担ぎ上げられたのでは?」と心配をされる声もありました。また、夫や家族の協力なくしては無理な話ですから、その点もよく考え、話し合いました。また、一部の人からも「落選しても一年後はまた区議会議員選挙があるから、名前を売るには丁度いい」等の楽観論もありましたが、私は、それよりも自身の気持ちの中で、ある意味、チャンスと考えたのだと思います。
52歳の時、自身の行っていた『保育・介護』の福祉事業者の経験を活かし、区政に現場の声を入れたい一心で、政治の世界に入りました。そして、区の状況・主権者のあり方・議会の望ましい姿等を『がんばろう日本』や様々なセミナーで学ぶ中で私なりの活動をしてきましたが、なかなか現実は難しく、力の限界や活動へのわだかまりや狭間で悩んでいた時に、区長の急遽、首長候補者へのオファーの流れは、選挙費用・支援者へ理解・勝算分析、戦略等……、決して一人では戦えるものではない選挙だけに、挑戦が出来ることは、むしろありがたい気持ちでした。そして、何かを変えることができるかも。という気持ちも強かったのだと思います。
◆「区民に寄り添う政治」へ3度目の登板
選挙結果は前述の通りで、落選すればこれまでやっていた本業の福祉事業に戻るだけと、活動等の達成感もあったことから翌年の統一地方選への再出馬への思いはありませんでした、といったところが正直な気持ちでした。でも、政治に関連する勉強は好きでしたので、引き続き関心のあるセミナーや党の活動にも参加をしていました。
多くの方からは「また、立候補するのでしょ」「勿体ないよ」「今度で三期目でしょ。まだまだ……」と温かい言葉をいただき大変うれしい思いでしたが、気持ちの上で、進退を決めることが出来ず、笑みだけを見せていました。
そんな私が再出馬を決意したのは6ヵ月後の10月末頃でした。
多くの方々からの期待をされている言葉をいただいたこともありましたが、私の政治の原点である福祉分野が、大きな変革を迎えようとし、特に基礎自治体への責務と権限移譲が明確に示されていくことから、今後はより現場の声が区政に反映されることが必要であり、それが私の役割ではないか……と、やはり政治に関わりたいという思いが湧きあがったからです。
今6月、1年間のブランクでの初登庁。議員間や行政職員の視線が気になりましたが、去年のことは過去のこと、新たに選出されてきた議員として変わりない関係に安ど感もありましたが、一方で、気持ちの中で、迷いのないむしろ良い意味で、腹が据わったという冷静な気持ちになっている私自身がいました。
それは、この一年間、区政や議会を客観的に見つめられたこと、首長選挙からの貴重な経験を積むことができ、大変ありがたい成果と感じています。
◆政治に対して、主権在民意識が高まる。
今、国会の安保法制関連法案がネット上も含め様々な報道・コメント等から国民の意識や関心の高まりを見せています。SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy – s)・高校生グループによるティーンズ ソウル・子育て中の母親たちでつくるグループ「安保関連法案に反対するママの会」等々。主権者としての意識の高まりは、政治の原点である「主権在民」を政治家らに気付きを与えたのではないでしょうか。
戦後70年となり、個々の政治思想・信念・姿勢はあるのは当然ですが、まずは、政治家が市民の代表だからと事を進めていくのではなく、しっかりと今なすべき行動を生活者と同じ視点に起ち行動する姿勢が求められているのだと思います。
日々の『がんばろう日本』の啓発活動や有識者のメッセージは、「市民が社会を動かす」体制となるよう地道な活動をされていたことであり、私自身も励まされてきました。これからもそれに向けての努力をしていきたいと思います。
◆なぜ、女性議員が少ないのか?
政治は生活であり、男女参画社会の政策としても女性の社会参加・活用と高らかに示すも、社会的にも政治の世界でもまだ男性要素が根強くあるといえます。
女性たちは、仕事・出産・子育て等が当然という生活状況の中で、選挙に出馬するということは、とても優秀な方でもなかなか難しく大変なことです。ですが、政治に女性の視点や発想は重要であり求められています。
北欧のような仕組みが望ましいとは言いませんが、少なくとも女性が「社会参加・活用」の言葉を使わなくとも、政治の世界にも参画できるような社会つくりに尽力していくことが私のもう一つの目標となりました。